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2日連続で観劇

昨日につづいて、今日も観劇。両日とも、新国立劇場でのオペラ観劇であった。昨日が「ファルスタッフ」(G. Verdy)、今日が「薔薇の騎士」(R. Strauss)だった(新国立劇場での表記は「ばらの騎士」だが、ここはぜひとも漢字で書きたいところなので、以下漢字表記にする)。「ファルスタッフ」もいい出来だったが、「薔薇の騎士」は出色だった。オクタヴィアン伯爵役のエレナ・ツィトコーワ(ms)の溌溂とした若者ぶりもさることながら、カミッラ・ニールント(s)が、貴族の矜持をもって自制しつつも、若さと愛を失いつつある悲嘆を隠せない元帥夫人を見事に演じきっていた。特に第三幕、オクタヴィアンとゾフィーを結びつけた後、「これでよいのです」といって部屋を立ち去る場面では、気品の中にある悲しみを感じて、こちらまで泣きそうになった。今日のカーテンコールは飛び抜けて長かったが、それに十分値すると思う。

それにしても、「ファルスタッフ」と「薔薇の騎士」は、主人公が老いを迎えつつあるという点では共通するが、そのことに対する主人公の態度は全く正反対である。「ファルスタッフ」の主人公であるファルスタッフは、太っちょで70がらみの老騎士ながら、「自分はまだまだ男前」と豪語する。彼は金目当てに夫ある女性を籠絡するようとするが、嫌悪され、嘲笑され、容赦ない悪戯の対象とされる。最後は「世の中はすべて冗談さ」と歌って大団円になるが、少なくとも彼自身にとっては最高に幸せなエンディングではないだろう。

これにたいして「薔薇の騎士」の元帥夫人が老いに向かう姿勢は対照的である。彼女はいまだ老いたという年齢ではない(32歳!!)にもかかわらず、これから衰えゆく自分を嘆き、これから若さの絶頂を迎えようとする愛人オクタヴィアンをいまだ深く愛しつつも、彼とゾフィーとの新たな愛を認め、自らは潔く身を引く。そこには早すぎる諦念と嘆きがあるのみである。

ファルスタッフと元帥夫人を見比べた時に、どちらに美しさを感じるかと問えば、10人中10人までが元帥夫人に軍配を上げるであろう。盛者必衰を嘆きつつも従容として受け入れる姿は、日本人の美意識にも叶うものであろう。しかし、実際に彼女のように老いを素直に受け入れることができるだろうか?それは甚だ心もとない。

あるいは、できないことだからこそ、そこに美しさを感じるのかもしれない。手に届かない高嶺の花だからこそ、そこに永遠の理想像を見るのかもしれない。「永遠などはない」という諦念のなかに永遠の美しさがあるのだとしたら、何とも皮肉としかいいようがない。

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