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大分、恢復しました。

凹んだ、と弱音を吐いたら、予想以上に多くの皆様が励ましの言葉をくださいました。ありがとうございます。お名前を挙げることは致しませんが、篤く御礼を申し上げます。今回のことを教訓にして、某巨大掲示板にはなるべく近づかないようにしたいと思います。

さて、僕の報告について、森田君がブログ
>>結論部分で,民主的手続にのせましょー,という辺りが,ちょっと論理の飛躍があったような気が
と。いや、そのあたりの説明が下手だった、というのは認めますが、「何が何でも民主的手続に乗せろ」といったつもりはありません。レジュメには、次の通り書きました。

「民間でのプロセスによる規範決定が民主的契機を持ちえ、かつ利害関係者の参加が十分に確保されるなら、会計基準についての完全な民間移行も可能と考えるべきではないか」

つまり、純民間プロセスによっても何らかの形で民主的正統性を確保できるのであれば、特に公の手続に乗せなくてもよい、というのが結論です。そこでの「民主的正統性」というのが何かというのは、公法理論を見据えて検討しなければならない課題だと考えています。

こういった時に念頭にあるのは、実は学会報告の際には説明を省いてしてしまった1970年代後半のFASBの危機です。FASBに対して政治の側から「会計士の私欲による規範形成がなされているのではないか」という批判がなされ、アメリカ上院のいわゆるメトカーフ委員会報告書において公の手続によって会計基準を設定するよう主張されるという事態に至ったわけです。最終的にはそのような事態は回避されたわけですが、ここでは「専門性」と「民主国原理」とが正面から対立しているわけです。(もちろん、メトカーフ委員会の背後にも私益が入り込んでいる可能性は高いわけですが)

「専門性」と「民主的正統性」はある局面においては相反する要求となりうるのは、森田君が指摘するとおりです。そのときの僕の不安は、いくら専門性を主張しても「黄門様の印籠」を出されてしまったら終わりではないか、という点です。つまり、安定的に会計規範を維持しようと思ったら、何らかの形であらかじめ民主的契機に関する「お墨付き」を得ておくことが必要で、そのためには官民協働論なども援用していかなければならないのではないか、というのが現段階での(したがって学会報告での)僕の結論です。

ですから、どうしても公の手続きを経ないと民主的契機を獲得することができない、ということであれば、それもやむを得ないとは思いますが、もし純民間プロセスでも民主的契機を獲得することができるのであれば、それに越したことはないと考えています。

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