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民法学習について(Ishikawa Kwntarou氏への応答として)

このところ、ずっとツイッターばかりでこのブログの更新を怠ってきましたが、ツイッターでは字数制限がきつくて扱いかねる事柄なので、数年ぶりに更新しようかと思います。

さて、事の発端は、私の2015年2月22日付ツイートです。引用すると、下記のとおりです。
『久しぶりにK大のS先生が圧力botぶりを発揮されておられるが、その内容は至極真っ当。民法は本当に大切。民法が分かってないと商法はもちろん、民訴も破産法も労働法も分からん。』

これに対して、Ishikawa Kentarou氏から、つぎのようなリプライがありました。15ツイートにもわたる長大なものですが、あえてすべて掲載します。

①先生、以前大変お世話になりましたkentarouです。お邪魔して大変恐縮です。先生のこのご意見から読み取れることは、民法を分かることは、必ずしも憲法や刑法をいっそう分かるようになる原因とは必ずしもならないことです。私にはそこで意図されている根本が分かりません。
②民法は、私人と私人との間の法関係を規律するものであって、また、商法も強行法規性がくわわるものの基本は私人と私人との法関係である、労働法然り、こういう理由からでしょうか?しかし、問題は、強行法規性、もしくは強行法規性が加わるというような、見方ではないでしょうか。
③周知のように、民法にも強行法規(性)があって、実は民法自体が、そこに登場する法主体を国家の統制下におくという意味において、もともと純粋な私人と私人との法関係の規律ではなかったのではないか。国家が敢えて「技術的・政策的に」私人と私人との法関係の形を採用しただけ。
④したがいまして、民法においても、「技術的・政策的」から必ずもれる場合が有ることは法は最初から知っていたのですが、われわれ解釈者はそのことがかなりの歴史的期間分かることができないまま今日まで来てしまったのではないか。その一例が意思の合致=拘束力です。
⑤民法の研究が他の分野を大きく引き離して完璧なまでの議論がなされてきたかに見えますが、実は、大局的に重要な議論を置き去りにしたまま今日に至った。以上申し上げたようなことがその一つであります。私人間の法関係と言い放つだけではそれにはなかなか気付けないのです。
⑥先生の仰る民法、商法、労働法が、《いかなる意味で、また、いかなる理由で》私人間の法関係なのか、です。民法においてはこの議論が少な過ぎたか、ハナクソのほどもなされて来なかった。むしろ、ア・プリオリに当然視されてきた感が有るのです。我妻大博士もその一人でした。
⑦一段下がって、法学学習として申し上げますと、このことに少しも疑念を抱かずに議論を展開するのであれば、法学は大学に入ってやることではないです。「民法は私人間の法関係」であることが、あたかも「公理」であるかのような議論展開ならば中学生でも十分に耐えうる。
⑧先生が挙げられた民法、商法、労働法が、ともに私人間の法関係を基礎にしている、の「鉄則」を、それらは、《どういう意味で私人間の法関係なのか、どういう理由から私人間の法関係なのか》、をとことん問うことは、刑法や憲法の理解にも大きく貢献することになると、思われます。
⑨本来的に、国法制度は国家の利益を防衛るために有ると考えると、国家的利益を度外視して私人間の法関係を承認することは矛盾です。実定法とは相容れないはずの自然権でも実定憲法がそれを取り入れることによって、自然権でさえも実定法化されるとするのが芦部論ですが、、、。
⑩このような芦部論を待つまでもなく、本来的に国家が付与または承認するはずの権利・義務を私人だけの世界で権利・義務が承認される世界を国家が作るならば、それは矛盾ではないです。しかし、このときの国家は、計算ずくで自己に都合がいいからこそ私人間の法関係を認めるのです。
⑪ここで一つの見方を申し上げます。実定法の認識の仕方として、立法にも解釈にも言えることなのでしょうが、実定法の始まりは、すべて「技術的・手段的・政策的である」、とする考えです。それ以前に実定法の認識の仕方は存在しないとする考え方です。私はここを重要視したいです。
⑫実定法が、技術的・政策的に採用した手法・仕組みをただありのままに表現し、「民法は私人間を規律する法である」とすることは、何も反対することではないでしょう。ここでこれまで申し上げて来たように、「技術的・政策的」であること以後の話としてならばです。しかし、、、。
⑬次が最も申し上げたかったことですが、実定法理解の始まりを、このように、「技術的・政策的」に置く以上、それは何も民法、商法、労働法他に限ったことではないということなのです。刑法、行政法にもそれはそのまま当てはまる。
⑭したがいまして、刑法においても法関係は民法同様、被害者と加害者の法関係ととらえることができるし、行政法においても行政機関と国民との関係は民亊法と同様の法関係としてとらえられることになる。この場合の行政機関は、民法で言う他方私人と同じ立場に立つことになります。
⑮ようするに、いわゆる公法・私法の区別は存在しないばかりか(憲法は例外)、民法の学力向上は、商法や労働法や民事訴訟法の理解に資するだけでなく、刑法や行政法の理解にも大きく関わってくるものと思われます。以上です。

さて、これらのツイートに対して私の反応を返さないといけないのですが・・・

まず指摘しないといけないことは、私は「民法がわからないと商法等もわからないよ」とはいいましたが、「民法が分かっても憲法や刑法が分かるようにはならない」とは言っていません。言い換えれば、私が述べたのは、「民法の習得は商法その他の私法関係の法を習得するための必要条件である」ということだけであって、「民法を修得すれば」という条件関係については全く触れていません。その点で、Ishikawa氏は深読みのしすぎです。

・・・と、これだけで終わってもいいのですが、Ishikawa氏が延々と述べておられますので、私も多少述べるべきかと思います。といっても、Ishikawa氏の論旨は必ずしも明確ではないので、誤解の可能性を恐れますが。

強調しておいたほうがよいのは、私のツイートは、氏が問題にするような「民法上の法律関係の性質如何」を論じなくても成立するだろう、ということです。なぜなら、商法や労働法は民法上の制度を基礎として(たとえば契約制度や代理関係、委任関係)法制度が組み立てられています。民事訴訟法は一見すると関係ないように見えますが、訴訟物をどう考えるか、などといった実際の運用に際して実体法の構成を知っていることが必要であるように思われます。倒産法も然りです。このように、民法が私法関係の法の基礎として存在している以上(言い換えればそれらの法が民法の応用という側面を有している以上)、民法をきちんと学んでおくことが重要であることはいうまでもありません。

氏が主張するように、民法をきちんと学んでおくことが他の法分野(氏の例示でいえば憲法、刑法、行政法など)の学習に役立つであろうことを否定しません。もちろん、分野ごとの特性に応じて民事法とは異なる解釈手法があるのかもしれません。が、条文の趣旨を理解しつつ文言に沿って解釈するという枠組みそのものは共通しているでしょうから、民法の学習を通じてそのような感覚が磨かれれば、他の法分野でも役に立つであろうことは容易に想像できます。それでも、それでも、商法等において民法学習が「必要条件」というべきであるのに比べると、影響の仕方は違うのではないか、と考えています。

氏が問題にする「民法上の法律関係の性質如何」は、法理論的には面白い問題を含んでいるだろうとは思います。特に、民法といえども国家と私人との関係として捉えるべきなのではないか、との主張(のように読めます)は、法学基礎論の観点からは面白い問題かもしれません。ですが、こと私のツイートに関する限り、そのような長大な議論を持ち出す必要はないと思います。どうも、鶏を割くのに牛刀を持ち出した上に、あらぬところを切っているという印象をぬぐえないのです。

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